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棘間靱帯炎

サッカーとオタク。

【アニメ】劇場版ガールズ&パンツァー:『英雄の旅路』の終着駅はどこか

大ヒット、と言っていいと思います。

 

www.animate.tv

 

興収8.5億だったらしい『涼宮ハルヒの消失』を超え、『あの花』に肉薄しそうな勢いだそうです。

【ランキング】深夜アニメ劇場版 興行収入BEST25 - NAVER まとめ

 

で、僕にとってどうだったかというと、「面白かったが刺さらなかった」という感想です。

2回見に行きましたけど。

この辺のギャップを整理しておきたかったので、したためました。

ネタバレ満載なうえに唐突に『スタドラ』のネタバレが挟まります。

しかも、オチは「僕というのはこういうスタンスで物語を観ているんだなあ」という個人的な話でしかありません。

 

『英雄の〈内面的な〉旅路――ヒーローズ・ジャーニー』

というのは別に中二病用語ではなく、いわゆるハリウッド式創作術の用語の一つです。

元々は学術用語でした。

〈ヒーローズ・ジャーニー〉は、アメリカ人研究者ジョーゼフ・キャンベルが究明した語りのパターンであり……〈英雄〉、すなわち、集団や種族や文明の代表として旅立ち、偉業を達成する人物の原型がおこなう、典型的な冒険のことである。

クリストファー・ボグラー&デイビッド・マッケナ、2011=2013、『物語の法則――強い物語とキャラを作れるハリウッド式創作術』:74。

雑にまとめると物語のテンプレのことで、ボグラーとマッケナは「あくまでテンプレのひとつにすぎねーかんな!」と何度も強調しつつ、著書の中で割と自信満々にプッシュしてきます。

二人はこれを改良して、さらに、「キャラクターの一般的な成長パターンを示すひとつの方法」(108)として『英雄の内面的な旅路』の要素を言語化してくれました。

詳しくは上掲の本を読んでもらうことにして、これもまとめると、「英雄の内面的な旅路は、物語の冒頭で提示された〈主人公に欠けているもの〉が満たされたときに終わる」というものです。なんとなく直感的にも理解できると思います。

もちろん、「主人公は必ず成長しなければならない」というわけではありません。同書112-5ページでもそのことについて触れられています。

 

とはいえ、ガルパンTV版は、紛れもなく〈西住みほの『英雄の旅路』を描いた物語〉でした。物語冒頭で彼女に欠けていたもの(友達、仲間、戦車道をする喜び、居場所、家族からの敬意、自分の決断を信じること)が、物語を通じて満たされるわけですから。

 

ガルパン版『英雄の旅路』

というわけで、ガルパンTV版を上掲書の『英雄の旅路』の各フェーズに当てはめてみました。『英雄の旅路』の説明にもなって一挙両得ですね!

  1. 日常世界:大洗に転校してきたが、友達ができないみぽりん。
  2. 冒険への誘い:みぽりんが西住流の娘だと知って、生徒会に「選択科目は戦車道を選択しろ」と命令される。
  3. 冒険の拒否:戦車道にトラウマがあるみぽりん、これを拒否。
  4. 賢者との出会い:さおりん&華さん、みぽりんをナンパし、友達になる。二人ともみぽりんを生徒会から庇う。
  5. 戸口の通過:みぽりん、さお華の優しさに触れ、戦車道選択を決意。
  6. 試練、仲間、敵:そのまんま。だいたいサンダース戦(アンツィオ戦)まで。
  7. 最も危険な場所への接近:プラウダ戦で「戦車道大会で優勝しなければ大洗は廃校」という情報をみぽりんが知る。会長が戦車道に参戦し、とうとう仲間たちが一丸となる。
  8. 最大の試練:決勝戦。川のど真ん中でエンストしたうさぎさんチームを、勝敗を度外視して救出するみぽりん。
  9. 報酬:そのうさぎさんチームが黒森峰の重戦車2輛を撃破。優勝し、みぽりんは全てを得る。

うーん、こう書くとバッチリ骨組みとして『英雄の旅路』を使った作品ですね!

続いて劇場版ですが、これは恐らく『英雄の旅路』の最後の3ステージを意識して作られているのだと思います。「帰路」と命名された10~12のステージは、「英雄」が「手に入れたものを再び失いかける」ことで、「物語の始まりからあった両極の対立も、ようやく解決される」(77)とされます。要するに、みぽりんの家族問題のことですね。

⑩帰路

 物語の四分の三ぐらいの場面。ヒーローは冒険を完了させ、〈特別な世界〉を去り、宝を持って故郷に引き返す。敵に追われ、切迫した危険な場面となることも多い

文科省のメガネが再登場。今度こそ大洗を廃艦にしようともくろむ。

 

⑪復活

 クライマックス。ヒーローは故郷の〈戸口〉で再び厳しい試練に直面する。もう一度犠牲を払うことで再び死と再生の瞬間を迎え、それによって身を清めたヒーローは、今度はさらに高い次元の人間として完成される。ヒーローの行動により、物語の始まりからあった両極の対立も、ようやく解決される。

=大学選抜との戦い。島田流vs.西住(みほ)流の形をとる。

 

⑫宝を持っての帰還

 ヒーローは成長をとげ、世界を変える力がある宝を持って故郷に戻るか、そのまま旅を続ける。

=みぽりん、大洗という居場所を取り戻す。

ibid: 77。

……あれ? なんかすごい名作のような気がしてきた。

 

『英雄の旅路』をどこで終えるか――個人的な好みの話。

で、ここからは完全に個人の好みの話です。

『英雄の旅路』を初めて知ったとき、僕は感覚的に「⑩~⑫って蛇足じゃね?」と思いました。今も思っています。

要するに、「⑧最大の試練」を乗り越え、「⑨報酬」を手に入れた時点で物語が終わってほしいというのが、僕が好きになる作品だということです。

 

その最も美しい例の1つに、『STAR DRIVER――輝きのタクト』があります。

タクト「でも、僕たちはこれから、これとは違うもっとすごい空を、きっと見るさ」

という主人公のセリフは、日本のアニメ史上最もすごい「最終回の、最後の一言」のひとつだと思っています。

アムロの「僕にはまだ帰るところがあるんだ。こんなに嬉しいことはない」と同じく、「主人公が手に入れたものをたった一言で端的に表現するやつ」です。

みぽりんも言ってます。「見つけたよ、私の戦車道!」がそれです。

 

ここで終わるのが、⑨で終わる「旅路」だと定義して、話を進めたいと思います。

 

ちなみに『スタドラ』の劇場版BDのブックレットに、五十嵐監督と脚本家の榎戸さんに対するこんなインタビューがあります。

五十嵐 最初に、榎戸さんと「今度の劇場版をどんな作品にしようか」という話をしたときに、ひとつの指針になったのが、テレビシリーズの「その後」というんですかね。僕たち自身は、テレビシリーズの決着のつけ方こそが『スタードライバー』の最後にふさわしい、あれこそがラストだと思っているんです。実際には、3人の人生はこれから先も続いていくんだけども、あそこが物語の結末なんだ、と(後略)。

榎戸 それまで支持してくださったファンの方から「エピローグが見たい」という声が、たくさん来たんですよ。「いやいや、エピローグのないところが芸なんだよ!」というのが、僕と監督のスタンスだったのだけれど(後略)

とまあ、「エピローグ」を描かされた劇場版BDのブックレットにこのインタビューがあるというのも何とも愉快な話ですが、榎戸洋司さんという脚本家がいかにエピローグをほとんど描かないか(あるいはめっちゃ圧縮するか)ということは、彼の作品を観たことがある方はよくご存知かと思います。

(ちなみに、僕が好きなもう一人の脚本家・冨岡淳広さんにもこの傾向があると思います)

 

話が少し脇道に逸れましたが、この「エピローグの長さ」については僕のフォロワーさんの中でも様々に意見がわかれていて、

  • いらん
  • ちょっと(Cパートくらい)は欲しい
  • Bパートくらいは使って欲しい
  • 1話まるまる欲しい
  • ラストバトルはイベント戦仕様がいい
  • 全編エピローグみたいなやつがいい

と、少なくともこのくらいの派閥があります。

もちろん理想的には、1つの「終わり方」に拘泥するのではなく、作品に合ったエピローグの長さをそれぞれ楽しむのがいいんでしょうし、みな、多かれ少なかれその調節は行っていると思います。

とはいえ、やはり僕にとって「バッチリハマった!」と信じられる作品は、エピローグの長さも自分の好みであることが多いです。

僕にとってそれは、

 

『英雄の旅路』⑨で物語が終わり、⑩~⑫はせいぜいCパートで描かれる。

 

 

という物語のフォーマットなのだということに気づかせてくれたのが、ガルパン劇場版でした。

『M3~ソノ黒キ鋼~』面白いよ、みんな観ようよ。

 

ガルパン劇場版:「今のみぽりんならこんくらいやるだろ」が重ねて示される物語

というのも、劇場版のEDとともにみほとまほが口パクで会話するシーン、僕には

まほ「みほ。黒森峰に帰ってこないか。今のお前なら……」

みほ「……。ありがとう、お姉ちゃん。でも、私の戦車道は大洗にあるから」

まほ「そうか。……そうだな」

的な会話が聞こえてきたわけです。

 

幻聴ですが。

 

幻聴をもとに作品を解釈するのはお前それどうよという面もなきにしもあらずですが、すみません、この幻聴が聞こえてきた人だけ先に進んでください。

 

さてこの幻聴、これはTV版の最終話でみぽりんがお姉ちゃんに言った「見つけたよ、私の戦車道!」の繰り返し、再確認なわけです。

この「見つけたよ、私の戦車道!」こそが、上で紹介した「でも、僕たちはこれから、これとは違うもっとすごい空を、きっと見るさ」と同じく、「主人公が『旅路』の果てに手に入れた⑨報酬」にあたる、「まとめの一言」なわけです。

 

劇中では王道の三正面作戦を展開しようとして失敗し、お姉ちゃんたちに「お前の戦車道をやればいい」と諭されるシーンがあります。これもまさにTV版の『英雄の旅路』で手に入れたものの再確認です。

 

なので、お姉ちゃんにそう諭されたあとは、「まあ今のみぽりんならこれくらいやるだろ」というシーンが繰り返し示されるわけです。

(もちろん、知波単の変化、うさぎさんチームの変化、カチューシャの変化あたりを織り交ぜて、なんとか「変化」をつけようとしていますが)

 

『英雄の旅路』の⑩~⑫がいらないと僕が思うのは、「⑧最大の試練」を乗り越えるまでを見届けた時点で、⑩~⑫は「脳内で補完できる」からです。

極端なことを言ってしまえば、「大洗は優勝したけど文科省のメガネはまだ諦めてなくてなんとか廃艦に持ち込もうとしたけど、今度は高校オールスターをみぽりんが率いて大学選抜との戦いに勝利し、今度こそ正式に廃艦を撤回させる」という文字情報さえあれば、「みぽりんなら適材適所かつトリッキーな戦術で不利な相手と渡り合ったんだろうなあ。その過程でお姉ちゃんとも協力して戦ったんだろうなあ」という妄想はいくらでも広がるわけです。

 

それを映像にしてそのまま見せてくれたのが劇場版なので、「なるほどなるほどー」というツルッとした感想に留まってしまった、というのが僕の自己分析です。

これが「面白かったけど刺さらなかった」という感覚に繋がっているんだろうなあ。

おわり。

 

エピローグいらないという記事で追伸を書く

と、ここまで書いて、僕はどうにも『プリキュアオールスターズ』が苦手だったなあということを思い出したので、そのDXシリーズ3作を担当した脚本家・村山功さんの言葉を借りて、このオナニー記事を締めようと思います。

 

「DX1」での最新「プリキュア」は「フレッシュプリキュア!」です。あとのことは彼女たちに任せて(筆者註:前作、「プリキュア5」の主人公、のぞみたちは)ふつうの女の子に戻れるよ、この映画が終わったら心置きなく夢に向かって進んでねと……(中略)……(でも)彼女たちは夢(筆者註:前の「夢」とは意味が違って、「プリキュアとして戦う」という意味での「夢」)から覚めるどころか「DX」シリーズも続いてしまって、ずっと戦わされるという憂き目にあってしまったし。僕の「DX1」での目論見は完全に失敗。のぞみたちが不憫で、不憫で(笑)。でも「DX3」では「卒業」というテーマをもってきて「DX」シリーズ三部作は一応終えることができました。「5GoGo」から続いていた、密かに目論んでいた、のぞみたちの夢からの解放が「DX3」にしてようやくできたかなとは思えました。

加藤レイズナ、2012、『プリキュア・シンドローム!――〈プリキュア5〉の魂を生んだ25人』:504-5。

 物語を終えた「英雄」は休ませてあげてね、という話でした。